引用文献
以下の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

SFの分野では一般的になった「サイボーグ」という概念であるが、技術の進歩によって実現性が高まってきている。
北アイルランド出身でスペイン育ちのアーティスト、ニール・ハービソンは先天的な「1色覚(全色盲)」である。しかし、現在の彼は色を識別することができる。彼の頭部には光センサーがついたアンテナが埋め込まれており、先端の光センサーが視界の光の波長を捉え、それを頭部に埋め込まれたマイクロチップが振動に変える。後頭部に伝えられた振動を頭蓋骨で「聴く」ことによって、ニールが色を識別する。よって、彼には赤外線も紫外線も「見る」ことができる。ニールはアンテナがついた写真を用いたパスポートを英国政府に認めさせ、このことによって「世界初の政府公認サイボーグ」と呼ばれるようになった。(1)
この様に現実的な問題として認識されるようになってくると、フィクションが先行しただけにイメージが広がってしまっていて、サイボーグが「人間と機械の共生体」という点では共通しているものの明確な共通認識がないという問題も生じてきた。そのため、改めて定義しようという動きも起こっている。
村岡潔は、サイボーグを、以下の三つの条件を満たした「サイボーグ機械」と、人間(human host)の共生体と定義している。(2)
第1条件:その機械は,human host の身体内に完全に,または部分的に埋没していなければならない.〔埋没条件〕
第2条件:その機械は,生物(人間,動物,植物,微生物)由来の生きている「細胞」を含んでいてはならない.〔無生物条件〕
第3条件:その機械は,human host が「望む」動作・作業・作用を協働的に(human host と相互作用・相互行為的に)行なう機能・メカニズムを有する装置でなければならない.〔協働機能条件〕
なお、第1条件は「human host 元来の形態を大幅に逸脱しない(人間の形からはずれない)こと」を前提としている。この三条件の定義によって、白内障手術に用いられる人工レンズや人工骨、パワードスーツなどを除外することができる。一方で、電動義手はサイボーグ技術の1つと条件付で認めている。
ヒトの形を前提としながら村岡は、「特に医療現場におけるサイボーグ化の場合は,サイボーグ機械を全くもたない人間から対極のロボットに至る移行形態であるとみなすことができる。」「サイボーグ機械に相当する人工臓器等の治療により一人の患者のサイボーグ化を無制限に繰り返し行なうとすれば,ついには『生命体の部分』をすべて喪失して生存のための機能はすべて機械に依存するという最終的形態に至ることになる」と述べている。(3)
つまり記憶以外は人間の部分を持たない存在がサイボーグの「最終的形態」だとしている。
しかし、一般には、加藤一郎が述べているように「中枢神経系を人工物で置き換えることは考えていない(4)」であろう。これは、脳こそが人間の精神活動の「本体」であるということに基づくが、「ブレイン・アップロード(マインド・アップロード)」という人間の脳の活動そのものを機械に移し変える技術が登場したとき、村岡の認識は現実のものとなるだろう。
しかし、その状況は別の問題を生み出すだろう。
人間の記憶だけを宿した完全機械化の「サイボーグ」と、高度に発達したAIを搭載したアンドロイドが共存する社会では、サイボーグ=人間とロボット=AIの境界線は揺らぎ始める。
士郎正宗のコミックをアニメーション化した押井守の「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」(Production I.G,1995)では、脳以外を全身義体化(作中ではサイボーグの身体を「義体」と呼ぶ)した主人公「草薙素子」が、自分は本当に人間なのかと悩む姿が、原作よりも強調して描かれた。ここで人間とAIを分ける概念として用いられているのが「ゴースト」である。士郎の原作では霊的階層性という要素も含まれていたが、押井はそれを排除し、人間の根拠性を前面に打ち出した。
高橋透は、押井守のNHKの番組における立花隆との対談での発言を引きつつ、劇場版2作品で描かれた「押井版ゴースト」について考察している。それによると「押井版ゴースト」の特性は「(一)遍在すること、(二)そして個体をその中に含むネットワークを形成するということからわかるように、個体に宿りつつも個体を超え出ること、(三)他者へとリンクすることである」(5)とする。
特に、他者とのリンクに関しては、押井は「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」の中でも、他者の存在が自分を規定する大きな要因であり、自分がつながっているネットワークもまた自分の一部であると、素子に語らせている。
高橋はさらに「機械という他者と融合したサイボーグ身体は、(中略)これらの他者とネットワークを形成するのである。人間/動物/機械/植物の間のネットワーク的リンク。押井的ゴーストは、他者とのこのような相互的な結びつき」(6)であるとしている。これは、ダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」にも通底する認識であるといえる。
士郎のいう霊的階層性に対して、押井はネットワークという概念を用いているわけだが、どちらも自分の存在の根拠でありながら、他者とつながってものであるという両義性を有していることは共通していると言える。
一方で、浅見克彦は、押井守の劇場版に関して、「ひとまず『ゴースト』は、生まれ持った自分の脳によって形成された固有の意識ないしは記憶、あるいはそれらを成り立たせる根拠とされているように見える」とした上で、第一の「記憶を焦点とした『ゴースト』」、第二の「人間に独自なものとしての『ゴースト』」、第三の「固有性の根拠としての『ゴースト』」という3つの分類を示している(7)。その上で、以下のように述べている。
固有性としての「ゴースト」が一つの「空虚」にすぎないからこそ、人間精神に独自な「余剰」の力に依拠しながら、それを改めて求めずにはいられない人間の現実──。この私たちの実存の矛盾と裂け目を、物語の整合的体系性に背くこともいとわず、まさに解かれるべき謎として突き付けるがゆえに、『攻殻』は人の心を揺さぶるのだ。ただし『攻殻』の物語は、こうした人間の実存の枠組みを超えて、別の存在の仕方へと歩みだす素子を幻想的に描き出しているのだけれども。(8)
この矛盾に満ちた「ゴースト」をAIが宿したとき、人間は自らの「ゴースト」を信じられなくなってしまう。それが押井版の素子の苦悩の1つである。そして、実はその「ゴースト」に対する疑念こそが「ゴースト」の根拠性であり、素子が超越したものだったわけである。

引用文献一覧
(1) D・T・マックス.テクノロジーで加速する人類の進化.ナショナル・ジオグラフィック日本版.2017,vol.23,no.4,p.28-51.
(2)
(3)
(4) 加藤一郎.人工の手・足.計測と制御,1986,vol.7,no.12,p.881-889
(5)
(6)
(7) 浅見克彦.SFで自己を読む:「攻殻機動隊」「スカイ・クロラ」「イノセンス」.青弓社,2011,223p.
(8) 浅見克彦.SFで自己を読む:「攻殻機動隊」「スカイ・クロラ」「イノセンス」.青弓社,2011,223p.
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(2)(3)の引用は「医療におけるサイボーグ化の諸問題(その1)サイボーグの定義をめぐって」という論文である。「SIST02」にしたがって、引用文献一覧の記載を答えよ。なお、カンマ、ピリオドは半角を用いること。 *
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(5)(6)の引用は、『サイボーグ・フィロソフィー――『攻殻機動隊』『スカイ・クロラ』をめぐって』という書籍である。「SIST02」にしたがって、引用文献一覧の記載を答えよ。なお、カンマ、ピリオドは半角を用いること。 *
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