「忠度都落 1 : 落人」の本文を読んで、下の問に答えなさい。
[1] 薩摩守忠度は、いづくよりや帰られたりけん、侍五騎、童一人、わが身ともに七騎取ッて返し、五条の三位俊成卿の宿所におはして見給へば、門戸を閉ぢて開かず。「忠度」と名のり給へば、「落人帰りきたり」とて、その内さわぎあへり。
[2] 薩摩守馬より下り、みづから高らかに宣ひけるは、「別の子細候はず。三位殿に申すべき事あッて、忠度が帰り参ッて候ふ。門を開かれずとも、此きはまで立ち寄らせ給へ」と宣へば、俊成卿、「さる事あるらん。其人ならば苦しかるまじ。入れ申せ」とて、門をあけて対面あり。事の体、何となう哀れなり。
[3] 薩摩守宣ひけるは、「年来申し承ッて後、おろかならぬ御事に思ひまゐらせ ( ア )ども、この二三年は京都のさわぎ、国々の乱れ、併しながら当家の身の上の事に候ふ間、疎略を存ぜずといへども、常に参り寄る事も( イ )ず。
[4] 君既に都を出でさせ給ひぬ。一門の運命はや尽き( ウ )ぬ。撰集のあるべき由承り候ひしか(a)ば、生涯の面目に、一首なりとも御恩をかうぶらうど存じて( エ )しに、やがて世の乱れ出できて、其沙汰なく候ふ条、ただ一身の嘆きと存ずる候ふ。
[5] 世しづまり候ひな(b)ば、勅撰の御沙汰候はんずらむ。是に候ふ巻物のうちに、さりぬべきもの候は(c)ば、一首なりとも御恩を蒙ッて、草の陰にてもうれしと存じ候は(d)ば、遠き御まもりでこそ候はんずれ」とて、
[6] 日比読みおかれたる歌どものなかに、秀歌とおぼしきを百余首書きあつめられたる巻物を、今はとてうッたたれける時、是をとッてもたれたりしが、鎧のひきあはせより取り出でて、俊成卿に奉る。