統一原理クイズ【十字架による救いの摂理-2】
今回は、『原理講論』前編、第四章 メシヤの降臨とその再臨の目的の「第一節 十字架による救いの摂理、(四)十字架の贖罪による救いの限界とイエス再臨の目的、(五)十字架に対する預言の両面、(六)十字架の死が必然的なもののように記録されている聖句」からの出題です

ヒントとして記載しているページ数は、2020年12月6日 第5版第5刷発行の『原理講論(重要度三色分け)』のものです。
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問1.「もし、イエスが十字架で死ななかったならば、どんなふうになったであろうか。イエスは〈   〉両面の救いの摂理を完遂されたであろう。(中略)彼は永遠に滅びない地上天国を建設されたはずであった」 *
☆ヒント:186ページ
問2.「ユダヤ人たちがイエスを信じないで、彼を十字架につけたので、彼の肉身はサタンの侵入を受け、ついに殺害されたのである。そのため肉身にサタンの侵入を受けたイエスを信じて、彼と一体となった信徒の肉身も、同じようにサタンの侵入を受けるようになったのである。
 こういうわけで、いくら篤信者であっても、イエスの十字架の〈   〉では、肉的救いを完成することができなくなったのである」
*
☆ヒント:187ページ
問3.「人間には、人間自身が遂行すべき責任分担があって、神のみ旨どおりにそれを成し遂げることもできるし、逆に、そのみ旨に反して、成し遂げられないこともあり得る。このように、人間は人間自身の責任分担の遂行いかんによっては、そのいずれの結果をももたらすようになるのである。したがって、神はみ旨成就に対する預言を〈   〉をもってなさざるを得なかったのである」 *
☆ヒント:190ページ
問4.「メシヤを遣わすことは、神の責任分担であるが、来られるメシヤを信ずるか否かは、人間の責任分担に属する。それゆえに、遣わしてくださるメシヤを、ユダヤ民族が神のみ旨のとおりに信じることもできるが、神のみ旨に反して信じないということも起こり得ることだったのである。したがって、人間の責任分担の遂行いかんによって生ずる両面の結果に備えて、神はイエスの〈   〉に対する預言を二通りにせざるを得なかったのである」 *
☆ヒント:190ページ
問5.「イエスが十字架上で『すべてが終った』(ヨハネ19・30)と、最後のみ言を残されたのは、十字架上で救いの摂理の全目的が完成されたという意味ではない。(中略)『すべてが終った』と言われたみ言は、ユダヤ人たちの不信のゆえに第二次的な救いの摂理の目的として立てられた十字架による〈   〉の摂理の基台を、すべて成し遂げたと言われたみ言であったのである」 *
☆ヒント:191ページ
問1.「イエスは十字架で清算できなかった〈   〉を贖(あがな)って、肉的救いを完成し、霊肉ともの救いの摂理の目的を完遂なさるために、地上に再臨されなければならなくなったのである
*
☆ヒント:187~188ページ
問2.「旧約時代に、既に預言者イザヤによって預言されたイザヤ書9章、11章、60章などのみ言どおり、神がマリヤに天使を遣わして、将来懐胎されるイエスが生きておられる間にユダヤ人の王となり、世々限りなく滅びることのない王国を地上に建設されることを預言された事実が分かるようになる(ルカ1・31─33)。それでは、なぜこのように、イエスに対する預言が〈   〉をもってなされているかということについて、調べてみることにしよう *
☆ヒント:188~189ページ
問3.「我々が正しい信仰をもつためには、第一に〈   〉により、神霊によって、神と直接霊交すべきであり、その次には、聖書を正しく読むことによって、真理を悟らなければならない。イエスが神霊と真理で礼拝せよ(ヨハネ4・24)と言われた理由はここにある *
☆ヒント:191ページ
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