春高祭は、春高の生徒たちが校歌に親近感をもって歌い継いでゆく大きな原動力となっているように思います。なかでも、最後に行われる「春高ジェンカ」はいまや春高生の帰属意識の源泉になっていると言っても過言ではないように思われますので、この「春高ジェンカ」の成り立ちについて調べています。
春高の同窓会室には春高祭のプログラム冊子が1957年の第1回のものからすべて保存されており、それらを調べた結果、おおよそ以下のような流れであることがわかりました。
1)春高祭は、最初は純粋に各クラブの発表の場としてはじまったが、ある時期から、最後にクロージング・セレモニーのような形でファイア・ストームが導入された(1961年)。
2)そこでフォークダンスが踊られるようになり、「グリーン・ファイア・フェスティバル」などの名で呼ばれるようになった(1963年)。
3)フォークダンスの演目のひとつとして「ジェンカ」が踊られるようになった(1967年)。
4)フォークダンスの演目のうちの「ジェンカ」だけが突出して春高独特の激しい踊り方で踊られるようになり、女子を排除して春高生だけのための演目になった(1987年以前)。
5)この演目だけが他の演目と切り離され、「グリーン・ファイア・フェスティバル」の一部ではなく、「春高ジェンカ」という別の枠組みで位置付けられるようになった(1990年代)。
6)「ジェンカ」の原曲は使われなくなり、「右、右、左、左、前、後、カスコー」という掛け声だけが残って、それに合わせた「練り」が行われるようになった(2000年代)。
7)そこに、実行委員や応援団員が「学注(学生注目)」方式で次々と名乗りを上げて檄を飛ばし、最後に校歌を歌って終わる、という現在の形が完成した。
おおよその流れは上記のとおりだと思うのですが、その変化が具体的にいつどのような形で生じたのかについては、まだわからないところが多くあります。とりわけ、4)の、フォークダンスの一演目にすぎなかった「ジェンカ」だけが特別扱いされるようになり、春高独特の「伝統」として定着してくる具体的な過程がなかなかわかりません。いろいろな年代のみなさまに、自分たちの在籍時にはどのような状態であったかということを、お聞かせいただきたいと思いますので、わかる範囲内でご回答ください。