「一寸法師 1 : 旅立ち」の本文を読んで、下の問に答えなさい。
[1] 中ごろのことなるに、津の国難波の里に、おほぢとうばと侍り。うば四十に及ぶまで子のなきことを悲しみ、住吉に参り、なき子を祈り申すに、大明神あはれとおぼしめして、四十一と申すにただならずなりぬれば、おほぢ喜び限りなし。
[2] やがて十月と申すに、いつくしき男子をまうけけり。さりながら、生れおちてより後、背一寸ありぬれば、やがてその名を一寸法師とぞ名づけられたり。
[3] 年月を経る程(a)に、はや十二三になるまで育てぬれども背も人ならず。つくづくと(i)思ひけるは、ただ者(b)にてはあらざれ、ただ化物風情にてこそ候へ、われらいかなる罪の報いにて、かやうの者をば住吉より給はりたるぞや、あさましさよと、見る目も不便なり。
[4] 夫婦思ひけるやうは、あの一寸法師めを何方へもやらばやと(ii)思ひけると申せば、やがて一寸法師、このよし承り、親にもかやうに思はるるも口惜しき次第かな、何方へも行かばやと思ひ、刀なくてはいかがと(iii)思ひ、針を一つうばに請ひ給へば、取り出したびにける。すなはち、麦藁にて柄鞘をこしらへ、都へ上らばやと(iv)思ひしが、自然舟なくてはいかがあるべきとて、またうばに「御器と箸とたべ」と申しうけ、名残惜しく止むれども、立ち出で(c)にけり。
[5] 住吉の浦より御器を舟としてうち乗りて、都へぞ上りける。
住みなれ( )難波の浦を立ち出でて都へ急ぐわが心かな